〈整形美女〉
●古川美穂
週刊宝石
月号不明
お局店員イチオシ本のページ

相当におっかない小説である。『整形美女』という題を見て、「人知れず整形手術をして美しく生まれ変わった女がこれまでの人生に報復しつつ虚飾にまみれた幸福への道を突き進んだ果てにマイケル・ジャクソンのごとく顔面崩壊の恐怖にあえぎながらついには破滅していくサスペンスなんだろうな。こわ〜」

と勝手に想像をして手に取ったのだが、実際にはもっと根源的に恐ろしい話だった。

22歳の繭村甲斐子は美容整形をするために、老医師大曽根のもとを訪れる。大曽根は甲斐子が整形したいという理由がどうしても納得できない。なぜなら、大曽根の目には甲斐子の容姿が完璧なものに映ったからだ。

大曽根は偶然に知り合った青年たちに甲斐子の容貌について訪ねるが、誰も彼女を美しいとは言わない。それどころか、青年のひとりに「堀辰雄の小説に出てくるようなすごい美人」の恋人、望月安倍子を紹介され、言葉を失う。

(これはブスだ…どうしたらいいのだ…これはいったい)

読者の価値観をも足元からグラつかせる、ミステリアスな滑り出しだ。

主人公は甲斐子と、郷里で同級生だった安倍子。ある意味で両極端の外見をしていたこのふたりは、美容整形によってそれぞれ自分が持っていなかったものを手に入れる。表層的な言い方をすれば「美女からブスへ」と「ブスから美女へ」、これは甲斐子と安倍子のとりかへばや物語だ。

自らの『計画』に従って変身してゆく甲斐子。整形の魔力に捕らわれて変貌してゆく安倍子。

フーガの形で描き出される、この生々しい窯変。幸福を求めてかぶった仮面は、やがてふたりの精神までも壮絶に変化させる。

そして観察者としての大曽根に突きつけられる「なぜ整形は不倫か」の問。後ろ暗く、どこかいびつさを感じさせる『美容整形』という言葉のもつ陰を、この小説はみごとにあぶりだす。

普通の女のコでもごく気軽に美容整形を受ける時代である。この本を読んだ後に、奥さんや彼女の顔をじっと見てほしい。

笑顔の奥に隠されているかもしれない暗闇を想像するだけで、冷たい汗が流れるはずだ。


●安斎浩一
婦人公論
99・7月号

オビの文句。「整形美女はあなたのすぐ隣にもいる!」

この文句、あながち嘘ではないのが怖い。まあ、すぐ隣にはいなくとも、向こう三軒両隣よせきにかもしれなき。今、それくらい美容整形が流行ってるらしい。

で、その名もズバリ『整形美女』。タイトルどおり、美容整形を題材にした長編小説だが、これがすこぶる面白かった。『旧約聖書』の「カインとアベル」の物語が下敷きになっており、ふたりの主人公(繭村甲斐子と望月安倍子)はカインとアベルの分身である。

大きな読みどころがふたつある。むろん、ひとつは美容整形の世界を徹底的に描き込んだ点である。まぶたの皮膚を縫いとめる二重手術、シリコン・プロテーゼを注入する隆鼻術、頭皮をひっぱって縫合するフェイスリフト等々、施術のディテールはもちろん、悪質な美容外科の詐欺まがいの手口、被手術者の微妙な心理(つねに整形がばれることをおそれ、セーターを脱ぎ着するときですら顔の裏の詰め物にびくびくしなければならないetc )などがふんだんに盛り込まれていて、実に興味深い。

そしてもうひとつ。非常に刺激的で面白かったのが、美醜をめぐる考察である。主人公の甲斐子はもともと絶世の美女だった。ところが何を血迷ったか、「まめつぶのような目、低い鼻はわずかに上向き気味、小さな口にボテッとしたほっぺた」というブス顔に整形してしまう。なぜか。実はこれこそ甲斐子の考える美人顔なのだ。要するに逆さまの美意識。一種の倒錯世界である。だが、なぜかブスになった甲斐子はモテはじめる。こうなると、何が美しくて何が醜いのか、読んでるこっちもわからなくなる。しかし、そこに著者の狙いがあるのは言うまでもない。そもそも美と醜の境界はあいまいなのだ(そして虚構と現実も)。独特の倫理主義を黒々としたユーモアでくるんだ傑作である。


☆あとは

・小谷野敦(朝日新聞・99年3・25夕刊) 角を立て続ける痛快さ

・斎藤美奈子(週刊朝日・99・4・2号)  人間の原罪を連想させる主人公の名。

・美容整形で彼女たちは幸せになれるのか・敷村良子(産経新聞・99・2・28)

・大沢真知子(共同通信経由、新聞記事) 笑えない真実と恐怖が潜む
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