〈桃〉
角川書店
読売weekly
著者インタビュー
05・6/26号
構成 森恵子

実力派〃シェフ〃お薦め6編を異なる文体でご提供

「10万ユーロかけてもいいけど、このページをご覧になっている方は、私のことを誤解していらっしゃると思う」

 どんなふうに?

「雨だれとか銀のスプーンとか、ガラス玉のような涙だとか、そういう単語が頻出するような小説を書いている人だと。そういう話は書いていないし、書いている本人のキャラにいたってはまるでそうじゃないです」

姫野カオルコという可愛いペンネームのせいだろうか。しかし、実は違う、全く違う。ときには毒のある爆笑エッセイもものしながら、鋭い心理描写で小説を書く。

評論家たちは言う。

<この人の発想は誰にも真似できない>

<かなり生真面目な哲学的とでも形容すべき問題意識>

と。

「作家になる人って、作家にしかなれないと思う。なので、小説を書いて出版社に持って行きました」

 原稿を持ち込んだ出版社からすぐに呼び出しがあり、姫野さんの目の前で部長が読んで言った。

<ちょっと、これ、印刷所に入れて。細かな直しはゲラになってからやりましょう>

出版界でも稀有ななりゆきで、「ひと呼んでミツコ」が単行本になった。15年前のことである。

---自信作『世帯主がたばこを減らそうと考えた夜』は一番共感できる登場人物---

新刊「桃」は、6編からなる短編集。主人公は男性が3人、女性が3人。表題作の主人公は女性で、現在上映中のオムニパス映画「female」の中の1作、エロティックに桃を食べる長谷川京子が話題になっている。

「私の作品の中では感覚的な文章です。いつもはもう少し理屈っぽく書くのですが、『female』に収録するというのでフィーメールに書いてみようと」

姫野さんから男性諸氏へのオススメは、『世帯主がたばこを減らそうと考えた夜』。

「忙しい男性が1冊読むのは大変じゃないですか。短編一作なら読んでやってもいいかと思うのなら、ぜひ、これを。ほかの作品を読まないなら、会社の女性にプレゼントしてはどうでしょう」

自信作なのだ。「私が一番共感できる登場人物かもしれない」と言う。主人公は中学校の教頭で元数学教師、名を夏目雪之丞という。56ページの中に、彼の半生が凝縮して在る。

<家庭の維持と同時に、自分の噂についての弁明という波風をおこす必要はどこにもない。弁明したとてかたづけられまい。√25はきれいに整数になるが、25の倍数であるにもかかわらず√のなかにあれば、50は5√2という無理数である。

雪之丞のひるまは、こうして、過ぎてゆく>

淡々と明晰に語られる雪之丞のこの物語は、男性からのお墨付きだ。

ある社会学教授は、かねてから姫野さんを女装の男性か、性転換手術を行った女性作家ではないかと疑っていた。教授はこの物語を読んで、<男の気持ちを描出させたら日本一の女>と言ったと聞く。

6編中もっとも長い作品は「青痣(しみ)」。こちらは女性が主人公である。

「多くの女性が思い当たる節のある一編だと思います。とくに、本を読むのが好きな女性なら、きっと似た点を見出せるはず」

<この男と寝てもいいかどうか、決めるとき、わたしはいつも男の箸の使い方を見る。もう裏切られることのないように。もうあの憤(いか)りをおぼえずにすむように。あのころの、あの日の、決定された憤りを>

中学生時代の回顧が、そんな冒頭から始まる。

一人称という「主人公の話をもっとも聞きやすいスタイル」で語られている。

6編は、それぞれ全く文体が違う。主人公が違えば文体が違うのは当たり前のようだが、1冊の中でこれほど異なった文体を駆使している短編集は、やはり珍しい。

「豚肉なら味噌とか辛子がよく合うでしょう。木綿豆腐は普通は醤油をかけるけど、粗塩をかけても意外においしい。食材を小説のテーマとすると、文体は味付けのようなもので、一番合うものを選んで、ときにはちょっとひねった形でお客様に提示したいなと思っています。メニューはひとつしかない頑固親父経営の店のような方もいらっしゃるけど、私はそれを他山の石として」

にっこり笑ってブラッキーなことを言う。

---続編なだけではつまない、一冊でも十分たのしめないと---

この短編集はいうまでもなく全く独立した作品だが、実は主人公たちには共通点がある。全員がかつて同じ中学に在籍または勤務していた。主要なテーマは、それぞれが過ごした18年という<時間>だが、背景には田舎町のゴシップがある。

そのゴシップはすでに『ツ・イ・ラ・ク』で詳しく書かれている。しかし、『桃』は決して続編ではない。

「続編じゃ、つまらないでしょう。この1冊だけで十分楽しめないと。『桃』を気に入ってくださって、『ツ・イ・ラ・ク』も読んでいただけるのは、うれしいことですが」

たとえば、『世帯主が・・・・・・』で心中を吐露した夏目雪之丞は、恋愛小説であり群衆劇でもある『ツ・イ・ラ・ク』においては、端役でしかない。しかし、中学校という群集の中で、彼はどんな教師であったかは第三者の視点からきちんと描かれている。あわせ読めば、知るだろう。姫野カオルコという作家の凄みを。
書評目次へ
トップへ戻る