受難
文春文庫
著者自作を語る
文藝春秋
「本の話」より
その昔、フランチェスコという青年がいて、たいそう裕福な家に生まれたのだが、ある日、現代語(ヘブライ語ではない)で書かれた聖書を読んで、なにもかもを捨てて、荒れ野の教会に暮らすようになった。自分はなにひとつ所有せず、ぼろ布だけをまとい、やぶれてきたら繕ってまたまとい、病む人、貧しい人の世話をして、聖書を読んで、そうして暮らした。私はフランチェスコに会ったことがない。会ったことがない上に、彼が生きた時代はずっと昔である。おぼろげにしかフランチェスコの実体は私の脳内で像を結ばず、だからこそ、とんでもなく気儘に私だけの像を結んでいたのかもしれない。

「とてもふつうの人で神様の愛を信じてとても素朴に暮らしました」

そんなふうに思い、そんなふうな像は私にいつも涙させた。かなしみの涙ではない。哀れの涙でもない。では、なにの涙であるのか、その正体の一部だけでもとらえたくて書いた物語を『受難』という。主人公はフランチェス子という女性である。

さて、急に話がとぶ印象を与えるかもしれないが、私の筆名であるカオルコというのは、オカルトとオマンコとコミカルに似ているからつけた。それでいいや。それがいいや。そう思って、香子という自分の名前を片仮名にしたのである。小説を書くということは世間からすれば、オカルトでオマンコでコミカルな、そんなものだと思うのである。

「ははあ、こりゃぴったりだね、チョイナ、チョイナっと……」

嘯きながら親戚一同、小中高の同級生および故郷の住人一同には、

「東京にある共同印刷という会社の在宅勤務をしている。ワープロを使って電算写植のオペレーターをしている」

と言っていた。私の生まれ育った村の人々のほとんどは雑誌を読まない。本も読まない。映画も見ないし絵も見ない。

「そんなもん、生活にはなくったっていいものです」

と思っている。

「学校にいるうちは学校の勉強に努め、卒業したら役場なり田畑なりで、その日の勤めに精を出し、朝におはよう、夜にはおやすみなさいを言って寝る。それが健全な人間というもので、本を読む、ましてや本を書くなどという行為は蔑むべきものです」

と思っている。そのとおりだと思う。まっとうである(私の言いわけは十五年目にして今年の一月、ついにばれ、やはり母は嘆いていた)。私の育った村の人にかぎらず、おそらくほとんどの人がこう思っていると思う。しかし、それでも読まずにはいられない、それでも書かずにはいられない、という人も世の中にはいて、自己の内にある忌むべき凶々しいものを、なんとかプラスに転化させるべくくふうした結果が、出版産業なのではないだろうか。もちろん私はあらゆる先達の作家、編集者には敬意を抱いている。私の村の人が無視蔑視したぶん、彼らのぶんまで抱いてやる!と、りきむくらい抱いているが、ときどき、カオルコなどという名前は文学業界を軽視しているみたいだから変えたらどうですか、と言う人がいて、そういう人は、

「私は『赤毛のアン』がそばかすに悩んでいることや太宰治が恋人と心中しようと悩んだことが、かっこいい悩みにす ぎていっしょに悩めなかった。興味がわかなかった」

と私が言おうものなら、あの名作をけなすなんてなにごとですかっ、あの太宰治をけなすなんてなにごとですかっ、と、しばきかねないくらいに怒る。私はなにもアンや太宰氏を誹謗したつもりはないのでとても困る。

赤毛とそばかすに悩んでいるアンはだれかに相談できそうだが、一日に鼻毛が30センチのびてしまうことに悩んでいる人は、もしそれが思春期の少女だったりすれば他人に相談できないと思う。

「だれにも言えなくて投稿しました。ぼくの睾丸は黒い上に、一か所、赤いほくろがあるのです」

こんな相談が中学生向きの学習雑誌の悩み相談コーナーには必ずといっていいほどあったものだ。今からすれば笑い話だし、当時だって笑い話だっただろう。

しかし滑稽さゆえに、当人は苦しく、悩むのである。かなしみというものは常に滑稽さのなかに寄生している。はかなげな美少女が花粉に粘膜を攻撃されるより、体内にさなだ虫がいて腹を攻撃されるほうが、私はかなしいと思う。滑稽さとかなしみは、愚かな民には表裏一体であることを知ることが、絶対である神ではない者の謙虚さであると思うのだ。

聖書の、たとえばマタイ伝には『自分の義を、見られるために人の前でおこなわないように、注意しなさい。そうしないと天の父から報いを受けることがないであろう』『祈る時には偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む』というような箇所がある。こうしたことを考えて考えて考えすぎると、動作の一つ一つにも己の偽善が含まれているのではないかと自分を憎み、なにもできなくなる。聖書に悩んだと言えば一見、たいそうな悩みに見えるかもしれないが、その実はものすごく滑稽なことであり、かなしいことである。だが、滑稽さに常にかなしみが寄生するように、かなしみは常によろこびを兆している。

フランチェスコも、ぼろ布をまとい、お尻を出して裸同然で教会に立ったときには人々からゲラゲラ笑われたが、彼は謙虚で心はやすらかであった。彼の内部にはどのような幸いが積もっていったのだろうか、その幸いを全身で受けるためにどのように自己を克服したのだろうか。彼の崇高な境地に至るのは、私などにはとうてい不可能だが、それでも、聖フランチェスコの足の裏のちょこっとくらいの部分が現代に生まれ変わったらフランチェス子ちゃんのようになるのではないかと思い書いた物語である。
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